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Selfishly

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追跡者 9章


~ 追跡者 9章 ~

「あ~あ、俺ら泥だらけじゃんか」
 漸く落ち着いてから、自分達の惨状を省みると、そんな言葉が零れ落ちる。
 雨は一向に降り止まないから、その内洗い流してくれるかもしれないが、
 その前に凍えるのが先かもしれない。
「取りあえず、危ないからこの場は離れようぜ。 これだけ、地盤が緩いと、
 雨が降ったら、どうなるかわかったもんじゃないもんな」
 そう言って立ち上がると、一緒に落ちた荷物を取り上げて、先に歩き出す。
 目印は付けてあるから、この上に戻れさえすれば問題はない。 降りる時に使った綱を、
 更に細く練成し、歩く方向を見失わないようにする。 取りあえず、地盤が大丈夫になったら、
 この雨を凌ぐ場所を見つけなくてはいけない。 夜に闇雲に動くのは、危険すぎるのだ。

 歩き出すと、黙って付いてくるロイを見て、エドワードは顔を歪める。
「あんたなー、いい加減にしろよ! そう言うときには、さっさと言え」
 強引にロイを座らせると、足に触れながら、相手の反応を見る。
「っぅ…」
 小さな呻き声を上げる場所を捲れば、足首がかなり腫れて、熱を持っている。
 これでは、動けないはずだ。
「冷やしたほうがいいな」
 そう独り言のように呟くと、ガサゴソと持ってきた荷物を探り、中から目当てのものを探し出す。
 器用に湿布と包帯を巻きながら、これも先にと携帯の飲料用食料を飲ませ、痛み止めを渡す。
 その余りの手際の良さに、ロイは感心したように話しかける。
「用意がいいな…」
「これ位、こういう所にはいる時は当たり前なんだよ!
 あんたも、軍のサバイバルで習ってるだろうが。
 足場の悪い所へ行くときには、病より、打ち身や怪我をする確立が多くなるから、必需品」
 さっさと包帯を巻き終わると、肩を貸すようにして立ち上がる。
「杖は逆に危ないからな。 仕方ないから、肩、貸してやるよ」
 そう言いながら、憮然とした表情で歩き出す。
 雨のせいで、得意な焔の練成で道を照らすことも出来ないから、
 二人はゆっくりと進むしかなかった。 以前も思わされた事があるのだが、エドワードは夜目が利く。
 ロイとて、軍での訓練で闇夜の気配を探る事は出来るが、エドワードは本当に見えているらしい。
 猫みたいな色の目だと、やはり夜も見えやすいのだろうか?
 そんな事を思って、くすりと笑いを浮かべると、エドワードが妙な表情で見上げてくる。
 きっと、こんな状況で何を笑ってるのだと、思っているに違いない。
「なぁ、あんた何でこんな町に来たんだよ?」
 それはエドワードが最初から、浮かべていた疑問だ。 別に来る必要があったとも思えない町に、
 彼がわざわざ、足を運ぶ理由が思いつかない。
「言ったら、きっと君は怒るし、呆れるさ」
 それだけ言って、黙ってしまう相手に、エドワードは文句の1つも言ってやろうと口を開きかけた瞬間、
「川?」
 先を見て呟くロイの声に、つられて視線を向ける。
 エドワードからは、悔しい事に全貌は見通せないが、川のように流れがないことは見て取れた。
「う~ん、川じゃなくて、湖みたいなものかな?」
 とにかく行ってみようと、反射している灯りにつられるように、
歩いていく。
 深い森に、ぽっかりと空いた空間は、天空の光りを映している。
「泉だな、この規模じゃ」
 多分、地下水が溢れ出している箇所なのだろう。 いつのまにか止んでいたのか、
 天空には雲に遮られながらも、銀色の光りを滲ませる月光が見え隠れしている
 その周辺を二人で見回し、取りあえずの避難場所になる場所を見つけて、そこで一旦、腰を落ち着ける。
 周囲の材料で、取りあえず二人が落ち着ける小さな小屋を作ると、先に身体を乾かす事に話が落ちつく。

「っても、この有様じゃな…」
「ああ、乾かすにしても、一旦汚れを取らないと、綺麗にはならないだろうな」
 が、濡れてる身体には、この状態はあまり有りがたくない。
 二人とも擦り傷も多いから、出来れば綺麗にした方が、後の心配もなくなるのだが…。

「そうだ、大佐! 温泉作ろう、温泉!」
「温泉?」
「そうだぜ、ここの水質調べたならわかると思うけど、重曹泉だろ? 
 切り傷とか、皮膚に効用があるんだぜ。 汚れ落とせるし、身体も温まるし、
 傷も治るの早くなるなら、一石三鳥だぜ」
「君は…、まぁ、どんな状況でも生き残れそうだな」
 うきうきと、練成を考えている様子は、さっき泣いた鴉がと言いたいとこだが、
 泣かせたのが自分の事だから、苦笑するだけで留めて置いた方が良さそうだ。
 取りあえずは、ロイの発火布を先に洗い、使える状態に乾かすと、エドワードが数度手を打ちならす。 
 小屋の壁の一面を取り払い、低くした中に水を張る。
 それに、ロイが指を打ち鳴らして、湯の温度を上げると、簡素な露天風呂が出来上がる。
「大佐は、足捻挫してるからそっちな。 あっ、足首と発火布濡らすなよ」
 浅瀬に作られた方を指してそれだけ注意を与えると、自分はさっさと脱ぎ捨てて、服も中に放り込んで行く。 
 堂々とした、脱ぎっぷりに呆れながらも、自分も手早く脱いで、湯の中に浸かる。  

 思わずホッとした息が洩れるのは、寒さが思った以上堪えていたからだろう。
 ゆっくりと湯に腰を落ち着けると、せっせと服を洗っている様子が見えてくる。
「鋼の。 まさか、石鹸まで用意して来てたのか?」
「幾らなんでも、そこまで用意してるかよ!
 これは、さっき石灰石見つけたんで、作ったんだ」
 ほいと投げ込まれた物を拾うと、確かに石鹸だ。
 ここまでくれば、笑うしかない。 思わず込上げてくる笑いを堪えずに声を出すと、
 怪訝そうにこちらの様子を窺っている。
「いや…、君の能力には感服するよ」 
 そう、笑いながら告げると、胡乱な目で見つめてくるが、他意が無い事を感じ取ったのか、
 フンと鼻を鳴らすと、湯の中に沈みこむ。 
 
 ゆらゆらと不安定に揺れる湯が、陰影を付けて周囲を彩っている。
 ロイは暫く、その中でじっとしている相手を見つめていたが、
「はが…、エドワード、そちらに行ってもいいかい?」
 ロイがそう声をかけると、じっとしながら瞑っていた瞳を自分に向けてくる。
 闇夜に浮かぶ瞳は、中空に浮かぶ月よりも、強い輝きを浮かべている。
「駄目だ。 あんた、捻挫してるだろ? それは、冷やしといた方がいい」
 そのつれない返しに、ロイは嘆息して、更に言葉を紡ぐ。
「じゃあ…、君がこちらに来てはくれないか?」
 無理だと思いながらも、そんな願いを告げてみるが、
 案の定、小さく首を振ると、ロイから顔を背けてしまう。
 仕方ないとため息を吐き出して、素早く立ち上がると、
 エドワードに手が届く範囲まで、一気に詰め寄る。
 激しい水音に驚いた時には、もともと狭い中の事だから、
 あっと言う間に手の中に抱き込まれてしまう。
「は、離せよ! あんた、足、中に浸けるな!」
 こんな状況でも、相手の心配をするエドワードに、ロイは嬉しそうに手の中に囲い込んでしまう。
「じゃあ、あちらに一緒に行ってくれればいいだろう」
 そう掴んだ少年の耳元で囁けば、抵抗は一層酷くなる。
「やだ! 離せよ、離せってば! 」
 本気で抵抗している相手に、ロイは軽くショックを受けるが、囲んだ手は緩めない。
「何故…? 今までそんなに嫌がった事はなかっただろう…」
 愕然と呟かれる間も、エドワードは掴まれている手を必死に接がそうとする。
 そして、
「嫌じゃないから困るんだろ! あんたに触れられると、困るんだよ!」
「エドワード?」
 言葉に驚いたのはロイだけではない、叫んだ本人が、瞬間、拙いと表情を歪め、
 その後血色の良くなっていた頬を更に、紅く染め上げていく。
 その様子を見ていたロイが、決心したように、ひょいとエドワードを抱えて、
 さっさと浅瀬の方に戻っていく。
「何すんだよ、この恩知らず! 助けに来てやったのを、忘れたのかよ!」
 ジタバタと暴れられると、さすがに鍛えているだけはあって、本気で押さえ込まないと、無理が出てくる。
「わかった、わかったから。 何もしないから、少しは落ち着きなさい」
 浅瀬に腰をかけると、エドワードを横に降ろし、腕は回したままだったが、身体は離してやる。
 それでも、手を引き離そうと暫くもがいていたが、ロイが手を離す気がないのを悟ると、
 観念したように大人しくなった。
「寒くないかい?」
 浅瀬に腰をかけると、胸から上は出てしまう。
 ロイは、肩に湯をかけてやりながら、そう聞いてやる。
「寒くない」
 そう短い言葉を告げながら、そっぽを向いたままだ。
 不機嫌そうに眉が顰められているのを見て、ロイは思わず嘆息を付こうとし、
 気づいた事を茫然としながら、呟く。
「エドワード…、もしかしたら…」
 そうロイが言葉を零すと、紅かった顔を更に紅くして俯いてしまう。
 そう…、エドワードは欲情を示し始めている。
 男性は、機能的に隠せないように出来ていて、感じれば、見える形で示されるようになっている、
 わかりやすい生き物だ。
 不機嫌そうに歪められていたのではなく、込み上げてくる快感の波を
 やり過ごそうとしていた表情だったのだ。
「どうして…隠すんだ?」
 何度も身体を繋げてきた二人なのだから、別に今更隠すほどの事ではない筈だ。
 しかも、特に何をしたわけでもないのに、相手が傍にいると言うだけで、示されるなら、
 ロイとしては、嬉しくないはずがない。 
「だから、私が触ると困るのか?」
 問うように聞くと、グッと唇を噛み締めている。
「どうして…」 触れてはいけないのかと、聞こうと顔を寄せ、その表情に、聞く言葉を変えた。

「君は、どうして泣いてるんだ?」 と。

 エドワードは唇を噛み締めながら、ポタポタと雫を湯の中に落としていく。
 震える肩を、堪らず抱きしめてやると、ビクリと跳ねるが、何もしないと言うように、軽く揺すってあやしてやると、大人しく腕に治まったままで居てくれる。

「お、俺は…浅ましい人間なんだ…」
 話し出された言葉に驚くが、ロイは相手を極力驚かさないように、優しく聞いてやる。
「どうして?」
「だっ、だって、俺は…何も返してやれない。
 な…なのに、あんたが触れてくると、そんな事も忘れて…、
 あんたの手に、す、縋りたく…なって…」
 ロイは、今目の前で彼が語る言葉を、胸に刻み込むような思いで聞く。
 彼は、気づいているのだろうか? どれだけ彼が、熱烈な告白を自分に、ロイにしているかを…。
 上ずりそうになる声を落ち着かせ、ゆっくりと聞いてやる。
 彼の核心に近い言葉を、聞く為に。
「何故、それがいけないんだい? 」
 そう問うと、涙で腫らした目にきつい色を浮かべて、叫ぶ。
「駄目に決まってるだろ! 俺は、罪人なんだ、罪を犯して、
 更にその罪を重ねようとしてるんだから!
 あんた、構えば構うほど、危ないんだよ、危険になるんだよ。
 そんな事、あんただって解ってるだろ!

 俺はあんたを利用してるだけなんだ。
 俺の犯した罪を知って尚、手を伸ばしたあんたに縋る卑怯者だ。
 自分の失ったものを、浅ましくも欲しがる汚い人間なんだよ!」

「エドワード!!」
 パシンと叩かれた痛みで、エドワードは驚いたように言葉を止める。
 大きく瞠られた瞳は、痛みより、驚愕だろう。
 人が人に温もりを求める普通の事でさえ、自分に許さず、己を罵るエドワードを止めたくて、
 思わず手が出ていた。
 そして、その行動を後悔するように、ロイは叩いたせいで、少しだけ紅くなった頬を、
 優しく丁寧に嘗めてやる。 その行為には、微塵も性的な匂いはなく、純粋に痛み、
 苦しむ子猫を、必死に嘗め癒す親猫の行動に近い。
 そうやって、高ぶる精神を落ち着けてやると、漸くエドワードの瞳に、理性に光りが戻ってくる。
 そして、それを確認すると、ロイはゆっくりと話し出す。
「エドワード、別にそれで構わないから」
 告げられた言葉の意味が、理解できなかったのか、エドワードが戸惑うような視線を向けてくる。

「恋も愛も、全部が奇麗事ばかりじゃない。
 全ての人が、皆、無償の愛で、相手を愛せるわけじゃない。
 そして、綺麗な心でないと資格が無いと言うのでもない。
 それに、綺麗な心の持ち主が、全て、愛や恋を持っているわけでもないんだ。
 綺麗か汚いか、資格が有るか無いか…… そんなもんじゃない。
 大切なのは、相手が必要か必要ではないかだけだ。
 どれだけの罪を犯している相手でも、必要になってしまえば、
 恋をし、愛が芽生えてしまう。 例えそれが、自分の心を苛む恋だとしても。
 そして、どれだけ心美しき気高い人間でも、必要とされなければ、愛される事は出来ない。
 
 それに、罪の深さからいうと、君よりも私の方が遥かに深い。
 君のように、人を愛する気持ちから罪を犯すのではなく、 
 私は、命令1つで、何十人も何百人も人を殺め続けるだろう。
 だから、君を穢し、君に縋ったのは私の方だ。
 
 君の純粋な心は、私にはもう…持てないものだから。
 それでも、君を手放せない私は、君よりも遥かに卑怯で、エゴイズムで、汚い大人さ」

 そうなのだ。 何も己を恥じるのは、エドワードだけではない。
 ロイとて、自分の心をごまかし、詭弁で飾り、エドワードの幼さを理由に
 自分の行動を弁護してきたのだ。
 己に潔いエドワードに自分の卑怯さを見せ付けられた気がして、
 ロイは思わず、エドワードの視線を避けるように俯く。
 
 そして、そう自嘲的に話されるロイの言葉に、エドワードは声も出ない。
 この男は、いつも堂々としてて、大抵の事は難なくこなし、
 悔しい事に強さでも勝てないような人間なのだ。 
 常に自分の判断に自信を持って号令をかけ、率先して人を引き連れる。
 そんな事が出来るのは、彼が間違えたりしない人間だからだと思っていた。
 迷いも、疑いもなく、選ばれた道を真っ直ぐと進む、そんな人間だからだと・・・・・・。
 言葉もなく自分を見つめている相手に、ロイは苦笑を浮かべて聞く。
「飽きれたかい、こんな人間で?」
 その問いに、しばらく考え、小さく首を振る。
 例え、ロイが言葉どうりの人間だったとしても、少なくとも、
エドワードは彼を嫌いにはなれそうもない。
 これが、必要とするという事なのだろうか。 
 わからなかったから、素直に聞いてみた。 今なら、何でも聞ける気がしたから…。
 そうして、ロイの反応に、更にビックリする。
 エドワードの質問に、ロイは表情を歪めたかと思うと、肩に額を押し付けて、こう言ったのだ。
 『ありがとう』と、一言、小さく…。

 その言葉に、何故だか自分の方が泣きそうになる。
 きっと余りにも、ロイが弱弱しく思えたからかも知れない。
 エドワードは、泣きそうになる自分を誤魔化すように、肩に置かれている頭の髪を梳いてやる。
 彼は良く自分の髪を梳いてくる。 何が、そんなに面白いのかと思っていたが、
 これは面白いからするのではないのだと、唐突に気が付いた。 
 こうやって相手に触れるたくなるのは、相手が愛しいからだ。
 だから触れるのだと。
 では、自分がロイに触れられるのを喜ぶのは…。
 そこまで考えて、カッと頬が熱くなる。
 どうして、こんなに簡単な事がわからなかったのだろう。
 体から始まり、強烈な快感から覚えさせられたから、
 こんな些細な触れ合いの意味まで頭が回らなかったのだ。
 エドワードは、凭せ掛けられた頭に、髪に小さな口付けを落としていく。
 それは恥ずかしいとかいう気持ちより、自然と生まれ動いていく。
 ロイが、それに気づいたようにピクリと肩を揺らすが、エドワードは気にせず続けていく。
 ロイがいつも、幾度も幾度も自分に口付けを落とすのは、
 今の自分と同じ、考えての行動なんかではないのだ。 
 ただ、溢れる気持ちを現す為に、衝き動かされている衝動なのだ。
 これが恋や愛と言う感情なのかは、わからない。
 けれど、今この目の前の男を愛しく思う気持ちに、
 突き動かされているこの行動を、止めようとは思わない。
 エドワードがそうやって落とす口付けに応えるように、ロイも、
 エドワードの肩に口付けを落としていく。 互いに増えていく回数の度に、
 触れていく場所が近づいていく。 
 湯は温くなっている筈なのに、身体の中から上がる熱は、じっとりと汗を滲ませ、
 口付けを落とす位置が重なった頃には、隙間もなく触れ合っている身体は、
 互いの熱で、火傷しそうな位熱くなる。
 狭い空間の中に、湯が弾かれる音とは別に、粘着質の水音が響き始める。

 決して乱暴ではないが、激しすぎる口付けには、着いていくので精一杯になる。 
 それでも、必死に応えるように舌を差し出すと、ロイは酷く嬉しそうに、優しく甘噛みし、
 何度も何度も、その跡を労わるように舌を絡めてくる。 
 エドワードは、余りの気持ちの良さに、白くなる意識を保つだけで必死だ。
『何で、こんなに気持ちいいんだろう…』
 いつも、口付けは嫌と言うほどしていた筈だ。
 なのに、これだけ気持ちがいいと思ったことは、なかった気がする。 
 引け目や、負い目を解いて素直に受け止めれば、これほど違うものなのだと、
 身体を痺れさせる程の快感に、うっとりと浸る。
 何度目かのインターバルの間に、視線を合わし、名を呼ばれる。
「エドワード…」
 その欲情で掠れている声に、背筋が震え上がる。
 そして、暗い底なしの瞳からは、押さえ切れない劣情が、妖しく輝いている。
 エドワードは、ゴクリと唾を嚥下する。
 彼は問うているのだ。 
 『お前が欲しい』と、
 『その身を、差し出してくれ』と。
そして、
 『自分が欲しくはないか』と、
 『この身を、感じたくないか』と。

 彼が一番最初に言った言葉は、間違いなんかではなかったのだと頭に浮かんでくる。
 『快楽は、最も絶ち難い鎖なのだ』と。

 エドワードは、従順に従う、自分の欲望に。
 そして、それを相手に伝える為に、自分から、性急に口付けを返す。
 『早く、よこせと』 訴えるように。
 ロイは艶やかに笑うと、全てを奪いつくし、捧げる為に、覆いかぶさっていく。 
 人が人を欲するのは理屈などではないのだ。
 この幼い恋人が、自身の気持ちを素直に受け止めれないのは、
 罪悪感と後ろめたさからだ。 固い殻で覆われていた心が、こうして身体を繋いでいく時を経て、
 少しずつ芽吹いて変わって行っている。
 言葉を封じ、心を抑えようとすればするほど、エドワードの身体は正直に訴えてくる。
 ロイを放さないとばかりにしがみ付き絡める腕の強さの意味を、エドワード自身、解らないのだろうか、
 … それとも認めたくないのだろうか。
 時に緩く、時に溢れる位激しく波打つ湯が、すっかりと冷め切るまで、
 それは終わりを見せず、波が静かになったのは、樹木が茂り暗かった森が、すっかりと明るくなった頃だった。



「ヘーックション!!」
 盛大なくしゃみをしながら、元来た道を辿っていく。
 戻る道は、エドワードが練成したコートの糸を辿れば済む。
「大丈夫か? 風邪でも引いたんじゃ」
 心配そうに窺ってくる相手の顔を、苛ただしげに見上げる。
「何で、あんたは平気なんだよ! しかも、すっかり足も治り始めててさ」
 昨日は、支えて歩いていたのに、今日は支えながら歩かれている。
どうにも、納得できない苛立ちをぶつけるが、相手は上機嫌にかわして行く。
「多分、温泉の湯が効いたんじゃないかな?」
 その胡散臭い言葉に、反発するように反論を上げる。
「そんなん、俺も同じじゃないか」
 その言葉に、更に嫌な笑みを浮かべて、ニヤニヤしている。
「いや君も十分効用が有った様だが? 何せ、肌が艶々しているからね」
 そう言って嬉しそうにすると、その後ふいに耳の傍で、
「それに、いつもより痛そうじゃないし」と、囁いてくる。
 その言葉に、瞬間湯沸かし器の様に、耳まで真っ赤にして、離れようと、
 グイグイと身体を押しやるが、そんな事くらいでは、ビクともしない。
 そんなエドワードの様子にも、一向に笑いを納めず上機嫌な様子の男に、
 昨日の自分の考えが間違っているのではと、思い起こしてみる。
 昨日は兎に角、相手を探すのに必死で、見つかった安堵の余り、気が緩んだのは確かだ。
 もしかしたら、自分の勘違いと言う事も…。
「ひっ!」
 いきなり耳を噛まれて、エドワードは驚きのあまり、大きな声で反応してしまう。
「今、よからぬ事を考えていただろう?」
 確信に近い言い方に、ドキリと心臓が跳ねる。
「べ、べ、別に」
 焦って否定を返すエドワードの様子に、ロイは内心で嘆息を付きながら、
 そっぽを向いている相手を見つめる。

 二人の秘め事の時には、あれだけ素直に返してくる癖に、日が昇り闇が解けるのと同時に、
 綺麗さっぱりと自分を洗い流し、また元の頑なな姿に戻っていくエドワード。
  そんな彼が、少し憎らしくて、意地悪な思いが言葉になる。
「ふん、別に君が何を考えようか、構わないがね。
 先に言っておくが、何度考えても、答えは同じだぞ」
 その自信満々な態度が癪に障ったらしく、憤然とエドワードがいきり立つ。
「なんで! そんなのわかんないだろ、もしかして、間違いって事も…」 
 そこまで言い掛け、うっかり乗せられた自分に気が付いて、慌てて口を噤むエドワードの様子に、
「やっぱり、そんな事を思っていたわけだ…」
 呆れた様な嘆息をついて、ロイは幼い恋人を見る。
 不安定な年頃は、コロコロと気持ちが入れ替わる。
 そうやって、事の是非や、善悪を学んでいくのだから仕方が無いとは言え…。
 それに、考えてみれば、彼から確たる返事を貰ってない事に思い至る。
 この歳は、自分自身が1番信用出来ない年頃なのだ。
 かといって、あれだけ身体で返事を返されれば、言葉にしなくても、
 わかりきったようなものだが、言葉にする事で、意識し、気持ちを強くしていく事も大切なことだ。
 特にエドワードの場合は、彼自身が自分の気持ちを隠そうとする習性があるので、
 はっきりと自分達の関係を確約しておく必要性があるだろう。

 ロイは、自分のその考えに頷いて、エドワードに向き直ると。
「エドワード。 1度、はっきりと聞いておきたいんだが、私は君を愛している。
 で、君は私と付き合ってくれるんだな、恋人として」
『愛してくれているか』とは、聞かない。
 そんな言葉が、するりと出るようになるのは、まだまだ先の事だろう。
 だから、一番簡単なYES・NO方式で聞いたのだ。 少々、情けない気がするが、
 幼い恋人を持つと、確実性を取った方が、間違いが無い…… 身体に教え込んだように。

「なっなっなっ! 」
 ロイの問いかけに、そこまで驚く事なのだろうかと思うほど狼狽し、
 既に限界を超えようとしている、エドワードの様子に、ロイは嘆息を付いて、
 実力行使に出る手に切り替える事にする。
 さっさと相手を引き上げて、昼日中からは、少々濃すぎる口付けをする。
 そして、相手の抵抗が弱まった頃に、「付き合ってくれるね」 と、耳元で囁き、
 口付けに酔っている相手がうっとりとしている間に、強引に返事を聞きだす。 
 『YES』と。
 少々気が咎めるが、エドワードが相手では、悠長に返事を貰うまで待っていては、
 気が変わった彼に、アッサリと切り捨てられかねない。 言質を取る様な真似は、
 出来ればしたくはないが、ロイとて不安に思わないわけではないのだ。 少しでも、
 この恋人を手に入れられたと思う程度の事は、許されてもいいだろう。

 身体から始まった関係を後悔する事も有るが、それで手に入れられたのだと思えば、
 自分の行動力を褒めてやりたい気にもなる。 
 ゆっくりと進むのは、他にも色々とある。
 それは、今後の楽しみで、時間をかけていこう。 
 二人で作る時間は、これから増えるばかりで、減ることはないのだから。 
  
 気を取り戻したエドワードが、煩く騒いでいるが、彼の身体は、口よりも、考えよりも雄弁だ。
 『あんたが、欲しい』と。
 だから、時間をかけて教えてやろう、言葉にして気持ちを伝える方法を・・・・・。

***

 やきもきしている軍のメンバーに聞かれたら、盛大なブーイングが起こりそうなやりとりをして、
 漸く入り口が見えてくる。
 それまで、ブツブツと文句を言っていたエドワードも、ピタリと口を噤み、真剣な様子で聞いてくる。
「どうする? 昨日の連中、まだ居ると思うぜ」
 自分を見つめてくる表情は、戦闘に向かう一端に男の顔だ。
 ロイは、満足そうに頷くと、今後の作戦を話す。
 
 話を聞いている真剣な表情を見ながら、昨夜の彼の表情を思い出す。
 自分の存在と、揺れ動く気持ちの不安で、泣き叫んでいた歳相応の顔と、
 こうして、旅を続けることで、いち早く大人になっていく顔と、不安定な年頃同様に、
 クルクルと入れ替わり、立ち代りして、多くの表情を見せていく。 
 今は蛹同様の状態だが、これが孵化したのなら、さぞかし人を惹きつける事になるだろう。 
 不安定な今でさえ、危うい色香を漂わせ、ロイを虜にして放さないのだから、
 この先の事など考えるのも恐ろしい。
 出来る事なら、このまま閉じ込めておきたいところだ。
 快楽に従順な大人の彼と、子供の潔癖さで、それを撥ね付けようとするエドワードは、
 今はまだ、自分の魅力を何もわかっていない。 
 それを知り、認めた先に、ロイが立って入れるのか、甚だ不安だが、
 放したくないなら勝ち残るしかないだろう。
「頑張らないとな」
 そのロイの呟きを聞き止めたエドワードが、軽く目を瞠り、怪訝そうにロイを見上げてくる。
「どうしたんだよ、あんた…。 えらく、やる気じゃんか?」
 その言葉に苦笑を返し、ロイは現状を把握するように、周囲に視線を巡らすと、
 まだ残されていた問題から片付ける事をにする。
「では、始めるとするか」

  


 エドワードが言ったとおり、昨日の男達はやはり、そこで張っていた。
 見つからないように森を抜け出し、昨日途中で戻っていった男が来るのを交代で、休みながら待つ。
 一巡したところで、やってきた男を見て、ロイは不快そうに眉を寄せる。
「知り合い?」
 小さな声で、隣から尋ねてくる。
「ああ…、さほど知っていると言うわけではないが、確か西方にあんな男が居たような気がするな」
「西方に…ね」
「ああ」
 含みのある言葉に、ロイも賛同するように返事を返す。
 そして、その男が去った方を確認すると、何か気づくところがあったのか、
 ロイは軽く頷いて、エドワードにその場を離れるようにと促す。
 その後、町まで戻り、必要な物を手に入れたエドワードが、司令部に連絡し、
 大佐に言われたとうりの言葉を告げる。

「中尉、連絡遅くなって、ごめんな」
『あら、エドワード君。 アルフォンス君は、無事に着いたわよ』
「うん、でアルの奴に伝言しといて欲しいんだけど、俺釣りして帰るから、ちょっと遅くなるって」
 それだけ告げると、中尉はあら、楽しそうねと相槌を打った後、
『でも、エドワード君、…釣竿は有るのかしら?』
 と心配そうに聞いてくる。
「うん、こっちでいいの見つけたんで、大丈夫」
『そう、それは良かったわ』
 明るくなった声で、喜んでくれる。
『で、釣った魚はどうするの?』
「うん、皆に持って帰って、見せてやるよ」
『そう、楽しみだわ』
「で、悪いんだけど、入れ物用意しといてくんない?」
『それは構わないけど・・・ どれ位の大きさが必要なのかしら?』
 思案気味に訊ねられる。
「そうだな…、皆に1匹ずつあたる位は釣れると思うよ」
『そう、じゃあ結構大きな入れ物が必要ね』
「おう! 期待して待っててくれよ」
 エドワードの自信ありげな声に、ホークアイは笑い声を伝えてくる。
『わかったわ。 特注すれば、一日位で水槽も用意できるから、安心して、楽しんできて頂戴』
「うん。 頼むな」
『ええ。 で、狙ってる魚は、どんな魚なのかしら?』
「以前、アルとイーストのハイランド公園の池で、見たような魚」
『そうなの。 私も、今度見に行ってみるわね』
 そんな会話を楽しそうに交わして、エドワードは受話器を置く。


 大きな手荷物を持った子供が、慌しく町を走り去っていくが、
湯治に来ている家族連れも多いこの町では、近所では見かけない子供が居ても、
特には気にもかけるものはいない。 が、その子供が町人の目を惹いたのは、
朱金の髪も鮮やかな、目も覚めるような美少女だったからだ。

 町に幾つもある、公共の湯殿に行くと、エドワードは湯煙で視界が悪い中を、
キョロキョロと見回すと、目当ての人影を見つけると、大きな声で呼びつける。
「パパ~、ママに連絡してきたよ~」
 無邪気な笑い顔全開でそう叫ぶと、引き攣った笑みを浮かべながら、一人の男が出てくる。
「そう…、ありがとう…」
「ん。 で、こっちが着替えね」
 持っていた荷物を押し付けるように渡すと、さっさと着替え室を出ていく。
 着替え終わり、外に出てみると、先ほどの少女が所在なげに立っている。
「やぁ、待たせたね」
 そう言って出てきた相手を見て、ブッと噴出して笑い転げる。
「に、に、似合わね~」
 ロイの服装は、特に変わった物ではなく、ごくありふれた町の者と同じような服だが、
 顔を見られるのを割ける為に、農夫の作業用の幅広の麦藁帽子を被っている。
 げらげらと笑い声を上げている少女の耳たぶを引っ張り、小さ目の声で、叱咤する。
「もう少しお行儀良くしないか、エディ?」
 その呼び名に、ピキーンと硬直し、嫌そうで、寒そうな表情を浮かべてみせてくる。
 そんな少女の姿を、頭の上から足元まで、何度も視線をやって、感心したように頷きながら、
「しかし、君は良く似合っているな」
 燃える様な赤毛に染め上げた髪は、彼の気性そのもので、小柄な肢体が功を奏して、
 少女の服装がピッタリだ。
 ロイは素直に、褒め言葉を伝えるが、それに盛大に顔を顰めて、不満そうにする。
「似合うわきゃーないだろ! 何で、俺がこんな格好しなきゃ、なんねえんだよ」
「仕方ないだろ。 どちらも、顔が売れてるんだから」
 これ以上、拗ねられるわけにもいかないので、「ほらほら」と宥めながら背を押し、
 その場所から連れ出していく。


 エドワードの話で、去った男達が向かった方角に、思い当たる場所があったのか、
 ロイはエドワードを連れて向かい出す。
 「で、中尉は何と返事を返してきたのかな?」
 途中で、調達した馬に跨り、話を聞いてくる。
 恐々と、馬の背に乗りながら、舌を噛まない様に気をつけて、話をしだす。
「ん、入れ物は特注で、一日で用意してくれるって」
 馬の振動は、馴れてない者には、乗りにくいし、不安定だ。
 エドワードは、落ちないように鬣に必死にしがみ付き、身体を固くしている。
「ほら、エドワード。 あんまり鬣にしがみ付くんじゃない、馬が苦しがるだろ」
 そう言いながら、乗りなれてないエドワードの体を反転させてやり、自分の身体に手を回してやる。
「こっちの方が、安定するだろ」
「ん…」
 抱きつくような姿勢に、顔を真っ赤にさせてそっぽを向いている。
 そんな相手に、ロイは役得だと、内心で喜んでいたが、露骨に出せば、
 嫌がるのがわかっていたので、顕さずに留めておくにした。

 気を取り直しエドワードは、報告を告げる。
「で、ハイランドの池に見に行くって言ってたぜ?」
「そうか、じゃあ来るまでには、何か掴んでくれてるだろう」
「ハイランドって、確か」
「そう。 イーストシティの、西方にある池さ」
 そんな話をしていると、馬が気まぐれに小さく嘶いて、首を回す。
「わわわっ」
 驚き慌てて、ギュッとしがみ付く腕を強くしてくる相手に、ロイは優しい笑みを向ける。
「君は、乗馬は初めてのようだね」
「うん、村に居たのはロバか、農耕用でさ。 乗ったのは、今日が始めて…。
 あんたは、乗れんだな」
 落ち着いた安定した手綱さばきで、足歩を進めさせている相手に、意外そうな声で聞いてくる。
「ああ。 軍では訓練に入っているからね。 車が使える道は、決まっているし、
 今のように復旧していた時ばかりでもなかったから」
「そうなんだ」
 面白く無さそうな声に、負けん気の強い彼の事だ。 相手に出来て、
 自分に出来ない事があるのが嫌なのだろうと察する。
「鋼の。 馬に揺られてるんじゃなくて、乗るんだ、振動に合わせてね」
「?」
 見上げてくるキョトンとした表情が可愛くて、キスを落としたくて仕方ないが、
 作戦中だと思い直すと、グッと我慢する。
「ブランコに乗った事があるだろう? あの要領で、動きに身体の重心を移動させながら、波に乗るんだ」
 その言葉に、しばし考え、身じろぎをすると、体感を合わせる様に揺らす。
「そうそう。 で、重心がずれると落ちやすくなるんで、なるべく背筋を伸ばして、
 真っ直ぐ一定の場所で重心を上下させる」
 フムフムと頷き、言われたとうりに、姿勢を伸ばして、その場で振動と合わせて動いていく。
「で、姿勢をずらさない為には、手綱に縋るのではなく、太腿で馬の胴体を挟み込むようにすればいい」
 なるほどと言うように頷くと、早速、実践している。
 運動神経抜群の彼だ、単調な動きに付いていく事は、さほど難しくなかったようで、
 しばらくすれば、向きを戻して手綱を握りたがる。 
「それはまた今度にしよう、先を急ぐからね。
 ほら、しっかり掴まっておくように」
 結局、胸に抱きしめたままの姿勢で、一振り鞭をならして、駆け足をさせる。
「ちょ、ちょっと!」
 急な動きの変更に、不満の声が腕の中で上がるが、それは無視して、
「しゃべると舌を噛むぞ。 しっかり掴まっていろ」
 そう楽しそうに告げると、一気に速度を上げていく。
 そうなると、乗馬初心者は、乗せてもらっている相手に抱きしめるようにしがみ付き、
 離れれば落ちるとでも言うように、身体を密着させてゆく。 
 そんな相手の行動に、見られないように、にんまりと満足そうな笑みを浮かべる。
 
 好きな相手と身体を密着させたまま、単調な動きに二人して身を揺らせているのは
 ・・・ 少々危険だ。
 妙な妄想で、困る状況にならない為にも、ロイは手綱に意識を集中させる。 
『今度の休みに、二人で乗馬をするのもいいかも知れない』
 そんな考えが頭を過ぎりつつも……。
「さて、ここからは歩いていこうか」
 適当な枝に手綱を括り付け、労うように馬の首を叩いてやると、馬は大人しく、手ごろな草を食み出す。

 エドワードはと言うと・・・、よれよれな様子で、地面にへたり込んでいる。
 初心者には長距離の早足は、酷だったようだ。
「大丈夫か?」
 笑いを噛み殺しながら、窺うように屈んで声をかけてやると、
「あんた・・・・・、何か楽しんでたんじゃない?」
 眇められた視線で、ねめつける様に見上げてくる。
「…そんなわけはないだろ? 仕方ないじゃないか、急がなくては状況が急変する事だって、
 予想される時だったのだから」
 彼が、妙に鋭いのはいつもの事で、こう言うとき、
 『この子は、本当に本能で生きてるな』としみじみ痛感する。
 まぁ、そんな相手を往なすのも慣れても要るので、宥めるつもりで笑みを向けたのだが、
 どうやらその笑みが御気に召さなかったのか、「うそ臭い」と吐き出すと、
 プイッと顔を背けて、とっとと歩き出していく。
 そんな態度に文句を言う気もなく、後を着いて行く。
 なにせ、彼の推測は当たっていたのだから。



「尻が痛てぇ・・・・・・」
 可愛い少女の格好で、使うような言葉ではないが、そんな事は知った事ではない。
 昨日から、今にかけて、やたらと酷使されている腰は、持ち主に不満を伝えてきているようで、
 どんよりとした鈍痛が伝わってくる。
『帰りは、絶対に馬では帰らない』と心に誓いながら、敵対する相手の車だけは、壊さないでおこうと決めた。

「じゃ、始めますか」
 先ほどの苦行で、溜まったフラストレーションを発散させるのには丁度良い。
 軽快に両手を打ち鳴らすと、戦闘開始の合図を上げる。
 ゴボリと沈下した地盤のせいで、屋敷の端にある小屋が大きな音と共に傾く。
 もともと、老朽化が進んでいた建物だったので、傾くだけで済みそうもなかったが
、まぁ、それは仕方が無いだろう。
 
 その音を聴きつけた見張りや、中のメンバーの数人がバラバラと出てくるのが見える。
 皆、驚いたようにしているが、古い使われていない建物だった事もあり、肩を竦めて、
 それぞれの持ち場に戻ろうとしている。
「おっと、まだ中に入ってもらっちゃー困るんだよ」
 次の練成で、小屋からの亀裂が大きく走り、屋敷と出てきてた面々とを分断する。
 危うく、亀裂に落ち込みそうになっていた者を助けながら、気味悪そうに周辺を見回しているが、
 渋々と亀裂を迂回して、屋敷の裏手に回りこんで行くのが見えた。
 その隙に、さっさと中に入り込んだエドワードは、再度手を打ち鳴らして、家に手を充てる。
 これで、当面、誰も入って来れない筈だ。
 静かな屋敷内を見回し、先に入った相棒が、どこまで進んだかを確かめに、
 ゆっくりと注意を払いながら、邸内を探索に出かけていく。


「ですから、あの森には簡単には入れないのです。
 アイツですか? ええ、まだ出てきた様子はありません。
 中で、野たれ死んでくれてれば、こちらも助かるんですがね」
 隣の部屋からも筒抜けになるような、粗野な下卑た声が聞こえてくる。
 いくら味方の邸内の中とは言え、声高に秘密ごとを話す男の知性など、対した事もない。
 その癖、任務を遂行するのに、保身に走る態度から、絶対に保障を隠し持っているはずだ。
 先ほどの音で、外での鋼のの行動が始まったのがわかった。
と言う事は、邸内にはこれで邪魔者はかなり減った筈だ。
 この程度の事で、エドワードがミスするなぞ、思いもしないロイは、
 さっさと、このつまらぬ茶番を片付ける為に、堂々と隣へと入っていく。

「全く、上はいい気なもんだぜ。  命令すれば、それで終わりなんだからなぁ。
 動く、こちらの身にもなれって、もんだぜ」
 周囲に愚痴を撒き散らしながら、仲間に同情の同意を得て、満足している。
「そこを何とかするのが、部下の役目じゃないのか?
 動く前に、文句を言う姿勢は、感心しないな」

 いきなり入って来た声に、誰もがぎょっとするが、その間が命取りになる。
 ロイは素早く間合いを詰めると、一撃で取り巻きを撃沈させていき、
 銃を取り出そうと引き出しに入れた相手の手の平ごと、力任せに閉めてやる。
「ギャッー!!」
 耳障りな声に、眉を顰めながら、どうやら指の骨が2~3本程砕けたらしい事を、閉めた時の感触で知る。
「大体、作戦遂行中に、警戒態勢を緩めすぎじゃないのかね?
 銃も携帯せず、引き出しに入れっぱなしとは、怠慢にも程がある」


「あんた…、別に査定に来てるわけじゃないんだから、変な所で上司根性出すなよ」
 呆れた声と一緒に、登場した人物の様子で、邸内の他の所も片付いたのを知る。
「が、余りにも目に余る不真面目さでね。 同じ上司としては、
 小言の一つも言いたいだろうと、代弁したまでだ」
「あんたに、それを言われるのもどうかとは思うけど・・・。
 で、見つけるものは見つけたのかよ?」
 二人が緊張の欠片も無く話しているようにみえて、全く隙がない。
 そんな会話をしている間も、手を挟まれている男は、痛みに表情を歪め足掻いている。
「いや、これからだが。 
 ・・・・・・、君は、その間に外の連中を頼むよ」
 そう告げてくる相手に、エドワードが不審そうな顔を向けてくる。
「なんで? 一緒にさっさと吐かせて、外手伝ってもらった方が、楽なんだけど?」
 目では、何、楽しようとしてるんだよと、暗に不満を示してくる。
「歳が行くと、過剰な運動はきつくてね。 その点、君なら若いし、まだまだ大丈夫だろ?」
「えっー」と不満も露な声を上げるが、上官命令と言われると、渋々、出て行った。

「さて、彼も頑張りに行ってくれたんで、こちらもさっさと片付けようか? 戻ってくる前に…」

 そう、捕まえている相手に声をかけると、ごく自然に、挟んでいた手と逆の手を、
 反動もつけずに折り曲げる… 間接と逆方向に・・・・・・。
 咄嗟に、挙げられる叫び声を防ぐように、そこら辺にあった布を口に放り込む。
「そんなに大きな声を上げたら、彼が驚いて戻ってきてしまうだろ?
 折角、追い払ったのに」
 酷くつまらなそうな顔で、淡々と語る目の前の男が恐ろしくて、恐怖で顔を引き攣らせながらも、
 痛みに転がりながらも、相手から、目が離せない。
「彼には、こんな事は、知らせる必要はないしね」
 苦い表情を浮かべ、自嘲的に口の端に笑みを浮かべると、冷めた態度で、尋問を続けていく。
 荒事が日常の軍では、拷問にも耐性が付いている屈強なテロも多い。
 生半可な尋問では、彼らの口を割らせる事も難しい。
 奇麗事ばかりで終われないのが、ロイが生きている場所なのだ。
 が、出来れば彼には、そんな事はこの先も知る必要がないままであって欲しい。
 少しだけ痛む胸を気にしないようにして、ロイは自分の職務を全うする為に、気持ちを切り替える。


「よっしゃー、こっちも終わりっと」
 のした相手を頑丈に捕縛し、エドワードはロイが出てくる筈の邸を見上げる。
「わかってるつもりなんだけどな・・・・・・」
 そんな呟きを落とし、ロイが出てくるのを大人しく待つ。
 自分の領域ではない事は、エドワードにもわかっている。 
 そして、ロイがそれを見せたがらない理由も。
 だから、大人しく待つ。 いつもの自分らしく、不貞腐れた顔で。

「遅っせーよ!」
 不満そうに手を組み、叫んでいる相手に、ロイはいつもの顔で、笑いかける。 
「すまない、中尉に連絡をしててね」
「あっそう。 で、こいつらどうするんだ? 中尉たちが来るまで見張っておく?」
 足元に気を失って倒れ伏している反抗者達は、
 別段、ここに放って置いても逃げられそうもないのだが。
「そうだな、逃げられはしないだろうが・・・口封じをされると、困るんでね。
 小一時間もあれば、護送部隊がつくらしいので、それまでは、ここで待っておくしかないな」
 そんな、エドワードがドキリとするような事を、さらりと告げる相手に、
 内心の動揺を隠すように、努めて明るく聞き返す。
「えっ? 中尉達着くの早くない?」
 そんなエドワードの動揺に気づいているのか、気づかない振りをしてくれているのか、
 ロイも自然に話しに乗ってくる。
「いや、中尉達が来るのは明日だ。 が、君が電話した時に、1番近い部隊に要請したんだろうね。
 彼女が頼んだ部隊なら安心だし」
「だろうな。 イーストからだと、どんなに頑張っても半日じゃあ無理だよな」
「ああ、軍用列車を走らせるだろうが、それでもここまでは、結構な移動距離があるからね。 
 さて、部隊が着くまで中で待っていようか? 食料は常備しているだろうから、お茶でもしていよう」
 そう声をかけて、エドワードを促すように肩を掴むと、
ビクリと大きな反応を返して、首を横に振る。
「鋼の…?」
「い、いい。 俺、外で待ってるから…」
 そう言うと、足を動かさず、身体を固くして、俯いている。
 ロイはそんな相手の様子を暫く見つめ、視線を伏せるようにして離すと、
「そうか、じゃあ、私は中で連絡をしているから…」
 そう告げ、一人邸の中へと、足を進めていく。
 玄関に入る前に、流した視線の先には、悄然としている小さな姿が映ってくる。
 ロイは、何とも言えない重い気持ちを吐き出すように嘆息を落として、静かに中に消えていった。






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